F遠藤直経の墓

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ここは姉川合戦の際、浅井長政の重臣である遠藤直経が討死した場所と伝えられ、小字も「円藤(遠藤)」といいます。遠藤直経は「喜右衛門」と名乗り、坂田郡須川(米原市須川)出身で、一時同郡宇賀野(米原市宇賀野)にも居住していたことが知られる浅井氏の重臣です。

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多くの古文書にも登場しますが、『浅井三代記』などの俗書にも多く取り上げられ、浅井氏家臣中でも逸話が多い武将と言えるでしょう。姉川合戦の際、自軍の敗色が濃くなると、味方の武将首一つを携え敵軍に偽装、信長の陣中深く忍び込みましたが、竹中重矩(しげのり、半兵衛の弟)に見破られ討ち死にしたと言われています。

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かつて当地の約40メートル程北の畑の中に、「遠藤塚」と呼ばれる塚があり、直経の墓と伝えてきましたが、昭和54年に墓標が建てられました。平成9年、圃場(ほじょう)整備事業のため、現在地に移転しています。なお、毎年7月には、その追悼法要が現在も執り行われています。


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