A石田三成屋敷と横山丘陵

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この場所は、豊臣秀吉の五奉行の一人として活躍した石田三成の出生地です。三成の父親・正継は浅井長政の家臣で、石田村の地侍(じさむらい)でした。この地を北端とした1町4段の場所は小字「治部(じぶ)」と呼ばれ、石田家の屋敷跡と伝えられています。

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また、近くには石田家の墓地や、同家の氏神と伝えられる八幡神社があります。一方、この東の横山丘陵上には、木下(後の羽柴・豊臣)秀吉が城番(城の留守居)となった横山城があります。

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もともと小谷城の支城であった横山城を、織田信長の軍勢が包囲したことが、姉川合戦の発端となりました。横山城から北、南北約1.5キロ、東西約1キロには、古代の古墳を改修して構築した砦跡が、実に30ヶ所にわたり点在することも知られています。

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これらには、県指定史跡の茶臼山古墳を改修した龍ヶ鼻陣所や、その上部にある龍ヶ鼻砦など、信長本陣として使われた砦を含んでおり、いずれも浅井軍と織田軍の合戦の中で構築された砦跡で、姉川合戦との関連が指摘されています。


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